義理の祖父が亡くなった話


こんばんは。こなみです。

私事ですが、今年2018年10月10日に義理の祖父が亡くなりました。

義理の祖父が急変したのは、9月上旬ごろ。

義理の母から連絡があり、義理の祖父の家に何度か足を運びました。ある時は私と夫(沖P)、またある時は私の母を連れてお見舞いに行きました。

危篤状態になったのは、9月中旬の頃。その頃に坂戸市内にある病院に入院し、義理の祖父はベッドで寝ていました。

入院した当初、初めてお見舞いに行った時、義理の祖父はまるで悪夢にうなされているような状態で、呼吸が浅くて苦しそうでした。

私は無力感に襲われました。

それから4日くらい後、義理の祖父が驚異的な意識の回復を見せて、意思疎通が図れるようになりました。

義理の母が言うには、早朝や夜の方が意識がはっきりしていて、コンディションが良いとのことでした。

ある日、義理の祖父の意識がはっきりしている時に「こなみさんのご両親に会いたい。」と言われたので、大急ぎで日程調整して、両親をお見舞いに連れて行ったことがあります。

意識がはっきりしているうちに、もう一度会わせることができて良かったです。

その数日後、容体が急変し、また義理の祖父は息苦しそうな状態になりました。呼吸がとにかく浅いのです。

そして、10月10日に、義理の祖父が亡くなりました。

義理の祖父は、とある市区町村の経済発展、インフラ整備、交通設備の発展、燃料やカー用品の販売などに多大なる貢献をした人でした。

その功績に関わらず、気さくで可愛くて話が面白いおじいちゃんでした。

とにかく数字に強くて、新しいモノ好きでした。

晩年もスマホやパソコンを使いこなしたり、経理的な計算をササッと行う頭脳明晰なおじいちゃんでした。

義理の祖父には短い間でしたが、大変お世話になりました。

夫は義理の祖父に可愛がられていることもあり、夫&義理の祖父という組み合わせであちこち遊びに行っていたように私には見えました。

また、私も時々その時に同行させてもらっていました。

私&夫&義理の祖父で行った思い出だと・・・

巾着田に行って曼珠沙華を見たり、

ホームセンターでうどん食べたり、

モスバーガーでバーガーを食べたり、

ログハウスのような喫茶店であんみつ食べたり、

昭和レトロな洋食屋で肉料理を食べたり、

浅草の名店でねぎま鍋を義実家の家族みんなで食べたり、

2018年の雪の日に私の実家へ招いたり、

私の母を連れて義理の祖父の家に行ったり、

病院で約1ヶ月入院した祖父の元へ何度も何度も夫と一緒に見舞いに行ったりしました。

短い間でしたが、結果的に良き思い出となっております。

義理の祖父、会えて良かったです。本当に。

最後に、義理の祖父の飼っている犬のポチの散歩に同行させて頂きました。

夫(沖P)がリードを首輪につないで、しっかりと犬の行く先を観察して握っていました。

ポチは、久々の散歩なのか、大変はしゃいでいました。

河原の草むらや白い蝶々が気になっている様子でした。

水飲み休憩したり、喉が渇いているようで水道水をゴクゴク飲んでいました。暑いのでしょうか。水溜め部分に入ってしまったり。

帰路につきます。

ポチは祖父の犬でしたが、現在では義実家の母と弟がポチの世話(エサやり、水換え、うんこ掃除、散歩など)をしているとのことです。

ポチは、祖父が居なくなったことを何となく察知しているのか、どこか寂しげに見えました。

義実家に行く機会があれば、またポチの散歩に同行させて欲しいと思いました。

お通夜と告別式は無事に終了しました。

義理の弟が喪主を務め、挨拶をしていました。

「祖父は、昭和と平成を駆け抜けた人だった。」と彼は言っていました。本当、その通りなのだろうなと思いました。

祭壇の花とともに飾られていた木の札には歴代の市長3人の名前が書かれていました。

お通夜の参列者にはその3人と、とあるメガバンクの頭取が参列していました。ものすごい力を持った人なのだと実感しました。

また、義理の祖父の遺影は、かなり威厳のある写真でした。

厳しい表情をした義理の祖父が礼服をビシッと着こなし、勲章を胸元に光らせている写真でした。

義理の祖父の四十九日法要が終わるまで、しばらくは義実家のフォローを定期的に行おうと、当時の私は思いました。

しんみりしてしまいましたが、今回のブログは以上でございます。

次はまた色々と自分が体験したものや、食べた物、作品などをブログで紹介したいですね。

ご覧いただき、ありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です