「奇想の系譜展の見どころ解説」講演会のレポ

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こんにちは。こなみです。

2月24日の話。生涯学習センターのホールにて、「奇想の系譜展のみどころ」という講演会を聴きに行きました。

内容としては、2019年2月9日から4月7日まで東京都美術館で行われる「奇想の系譜展」の見所や日本の絵師について学芸員の中原氏に解説してもらうというもの。

さて、講演会で聞いた解説をまとめたいと思います。

そもそも「奇想の系譜」とは、1970年に出た本で、辻惟雄(つじ のぶお)氏の著作とのことです。辻氏は1932年生まれで、日本の美術史学者です。2019年2月現在、まだ健在です。

その本が書かれた当時の1960年代後半~70年の当時では、若冲や国芳といった日本の絵師たちの評価は日本国内では大して評価が高くなかったとのことです。

「奇想の系譜」では、突飛で幻想的な作風の日本の絵師たち(伊藤若冲、曾我蕭白、長沢芦雪、岩佐又兵衛、狩野山雪、白隠慧鶴、鈴木其一、歌川国芳)が紹介されており、

この本が、彼らの再評価に繋がる一因にもなったらしいです。

次に、「奇想の系譜展」に登場する絵師たちを紹介して行こうと思います。

「奇想の系譜展に登場する絵師たち」

伊藤若冲

曾我蕭白

長沢芦雪

岩佐又兵衛

狩野山雪

白隠慧鶴

鈴木其一

歌川国芳

伊藤若冲

1716年生まれ。京都出身。職業絵師ではなく、40歳まで実家の青物問屋「枡源」で働く。

実家は裕福で、坊ちゃんだった。実家の家業は、40歳で弟に譲り、80歳で亡くなった。

敬虔な仏教徒で「どんな小さな虫にも仏の心が宿る」という思想を持っていたらしい。

自作の絵を、寺に納めていた。鳥類と植物を描くのが好きな絵師とのことです。

「奇想の系譜展」では、「旭日鳳凰図」と「虎図」が出ます。

「旭日鳳凰図」は、若冲が40歳のときに弟に家業を譲った直後の時期に描いたもので、紙の裏に色を塗る技法で、鳳凰の羽根のグラデーションを表現したそうです。

また、鳳凰の尻尾の模様で赤い「ハート」が描かれています。中原氏によると、「これは本当にハートであるという説があり、時代的に若冲は西洋のハート模様を見ている可能性があります。」と言っていました。

「虎図」は、当時は日本には虎は存在しなかったので外国の絵(朝鮮半島にある虎の絵)を参考に描いたとのことです。なので、虎の瞳孔や体毛の縞模様はリアルです。

虎の瞳孔は、よく見ると猫と違うとのことです。明るいところでは、人間と同じように小さな円形に変形するのだとか。若冲の「虎図」では、虎の瞳孔は円形に描かれています。

また、若冲は、3~4ヶ月に1作品を描いていたとのことです。これは当時の絵師の制作スピードとしては凄まじく速いペースだそうです。

つまり、道楽ではなく仏教に対する宗教的な情熱で描いていたことが推測されます。

「徹底して見つめること」を信条として、「目の前に鳥が居なくてもリアルに描けるように。」と庭に鶏たちをたくさん放って、眺め続けていたエピソードがあったとのことです。

生物を写実的かつ可愛く描くためには、徹底した観察眼が必要で、そのためには自分の目と脳ミソにしっかりと記憶させる必要があったのでしょうね。

特に、若冲がよく描く「鳥」は常時せわしなく動きますし、カメラやビデオなんて昔は無かったのですから。

アメリカにはジョー・プライス氏という日本絵画コレクターがいて、若冲の作品もたくさん蒐集しているとのことです。彼は、若かりし時に建築家のフランク・ロイド・ライト氏に書生として働いていた時期がありました。

その当時、建築家のライト氏は「建築は、自然(Nature)のことがわからなければ出来ないんだよ。私は、Natureの”N”は、本来ならば大文字で表記すべきだと思っている。Godの”G”みたいにね。」と、プライス氏に言っていたそうです。

プライス氏は、その言葉に感銘するものがあったのでしょう。ライト氏に連れられて入った古美術商の店で見た若冲の「葡萄図」に心惹かれたそうです。

で、自分の父親から渡されていた大金(大学の卒業祝いとして渡されていた自動車代)を使って「葡萄図」を購入したとのことです。若者だった当時のプライス氏は、若冲や日本の絵師など全く知らない、予備知識ゼロの状態で買ったとのことでした。なんか、すごいですね。

曾我蕭白

1730年生まれ。長らく伊勢地方出身だと思われていましたが、近年の調査研究によると京都の商人の出自とのことです。当時から「狂気の画家」として評価されていた節があります。

「奇想の系譜展」では、「群仙図屏風」が出ます。この作品は、8人くらい仙人が描かれた縁起物の屏風なのですが、その仙人たちが突飛なキャラクターとして描かれています。

笙を吹く赤い服のおっさん仙人、龍に乗った強そうなおっさん仙人、美女に耳かきさせるキモいおっさん風の蝦蟇仙人、不細工な子供達を連れているおっさん仙人、ぼーっとした表情でみんなを見守る西王母などなど・・・あの、書いてて思ったんですけどおっさん率が高くないですか?

仙人というか、割とリアルで変わったおっさんの仙人たちが描かれています。

一説によると、大名クラスの財力を持った人がその屏風の依頼主(クライアント)だそうます。

その依頼主が、蕭白に大金を払って作らせた屏風でしたが、縁起物とはいえあまりにも奇抜なデザインになってしまったのです。

屏風は、本来ならば高級な室内インテリアです。有力者が来客に見せるような用途の飾りです。

それはとうとう飾られることなく、畳まれた状態で蔵にずっと保管されました。そのため、画材が高価なもので、保存状態が良いとのことでした。文字通り、「お蔵入り」ですね。

まぁ、そういう一説があるとのことです。

他の代表作では、「美人図」ですね。顔をキツくしかめた美女が、恋文を食いしばってビリビリに破り捨てている絵です。これは、一目で見て危険な雰囲気の絵です。

擬音で「ぐぎぎ!」とか「おのれ!」とか「口惜しや!」と聞こえてきそうな絵でしたね。

※この絵は出るのか私にはわからないので、ネット検索するか、美術館に直接問い合わせた方がいいかもしれません。

「奇想の系譜展」では、他には「雪山童子図」という絵が出ます。ふくよかな童子とマッチョな青鬼が対峙している絵です。

狂気の画家と言われていますが、私は個人的には「天台山石橋図」「月夜山水図襖」「蘭亭曲水図」などの風景を墨で書いた絵は好きですね。構図や墨絵の表現が綺麗で素晴らしいのです。

長沢芦雪

1754年生まれ。円山応挙の弟子で、2回も破門されている絵師。

犬以外の動物を、デフォルメかつ独自の作風で、やや皮肉って描くようながある。犬だけは何故かとっても可愛らしく描く絵師です。

当時の仕事の常識として、「絵の依頼があった時、弟子は師匠の作風に似せて絵を描かねばならない。」というものがあったそうです。

芦雪はそれが嫌で、師匠である円山応挙の目が届きにくい遠方の地での仕事では、自分のオリジナル作風でデフォルメ絵を描いていたとのことです。

芦雪の描く墨絵は、見ているうちにカラーに見えるような絵です。それは、当時は光源が太陽光や蝋燭の灯りしかなかったことが関わっています。一説によると、芦雪は「ふすま絵」を描く際に当時の「太陽光や蝋燭による見え方」を理解していた可能性があるそうです。

落款は「魚」朱文氷形印というもので、ふにゃふにゃした線が、漢字の「魚」を囲んでいるデザインです。この落款には以下のエピソードがあるとのことです。

修行中の芦雪が冬の日に、凍っている川に閉じ込められている魚を見たとのことでした。気になって帰りにもう一度川を見てみると、氷が溶けて魚は元気に泳ぎ回っていた。

芦雪が師匠である応挙にこのことを話すと、

「自分も修行していた頃は苦しかった。氷が溶けて、魚が自由に動けるようになる。そのような状態になる時が、お前にもそのうちくる。」

と、言われて、「魚」と「溶ける氷」を落款にしたのだそうです。なかなか素敵な話ですね。

岩佐又兵衛

1578年生まれ。以下、出自が壮絶です。

又兵衛の父・荒木村重は、織田信長に仕える武将でした。彼は謀反を起こします。しかし、信じられないことに、村重は家来たちや女子供を城に残して自分だけどこかへ逃げてしまいます。

織田信長は村重の謀反に激怒し、村重の城にいた家来・家族・女・子供は皆殺しにしました。

又兵衛は当時は生まれて間もない乳児で、乳母とともに城から逃げ、本願寺系の寺に隠れて生き延びたとのことです。

「奇想の系譜展」に出る作品は、「山中常磐物語絵巻」です。

これは、牛若丸の母・常磐(ときわ)に起きた悲劇と復讐劇の物語が描かれています。

あらすじとしては以下の通りです。

昔々、牛若丸の母・常磐とその侍女が、とある山の宿へ泊まりました。すると、盗賊たちに襲われ、着物や金品を全て奪われた上、殺されてしまいます。

後日、事件を知らない牛若丸が全く同じ宿に泊まりました。その晩、牛若丸の夢枕に苦しそうな様子の常磐が現れます。

嫌な胸騒ぎがした牛若丸は宿の主人と会話すると、主人から先日起こった惨劇を聞かされます。

牛若丸は、「女物の着物をありったけ貸してください。」と、宿の主人に頼み、着物を大量に借りて、宿泊している部屋に飾り、女のふりをして布団で寝ます。

すると、それに目をつけた盗賊たちが、常磐の時と同じように強盗殺人をしようと企みます。

牛若丸は、盗みに入ってきた盗賊たちを次々と斬り殺しました。首が飛んだり、腕が飛んだり、凄まじい戦いぶりです。とうとう、母の仇討ちが達成されたのです。

と、いう話です。

強盗殺人のシーンとか、仇討ちで盗賊を斬り殺すシーンなどは割と流血描写が凄いです。

2019年現在でいう、「青年向けアクション漫画」や「エグい漫画」っぽい雰囲気に似てます。

特に、盗賊が常磐を殺している時の下品な表情とか、仇討ちシーンで腕がスポーンと飛んでいるところは生き生きと描かれています。

どうして、又兵衛が「牛若丸による仇討ち」を題材に描こうと思ったのか、私は分からないのですが、

作品に理不尽な死が出てくるので、もしかしたら自分の出自などを思って描いたのかもしれませんね。あくまでも推測ですが。

狩野山雪

1590年生まれ。九州出身。狩野派の中でも、京都に残った「京狩野」の一人。

狩野派は当時メジャーな存在でした。作風は狩野派です。狩野山雪の作品は、京都の寺社にあることが多いです。

「奇想の系譜展」では、「梅花遊禽図」「龍虎図屏風」「寒山拾得図」が出ます。

「梅花遊禽図」・・・梅と鳥を描いた襖絵です。右側2枚と左側2枚で構成されています。

金箔を貼り付けた上に、「コ」の字型に湾曲した梅の枝が描かれています。

右側に描かれている絵は秋か冬の様子に見えます。その証拠に椿のような花が右端にあり、葉っぱに使われている色彩が灰色でくすんだような表現になっています。

それが、襖の左側になるにつれて、春っぽくなります。最も左端の襖には、細い枝先に花が咲いています。

「龍虎図屏風」・・・龍と虎が描かれた屏風絵です。山雪の虎の絵は、猫っぽくデフォルメ感のある虎です。お行儀よく前脚を揃えています。龍は、水流と雲の中から、現れています。

「寒山拾得図」・・・ニヤニヤした表情の謎めいたおっさんの絵です。彼らは、寒山と拾得です。文殊と普賢の化身と考えられていた人物とのことです。

白隠慧鶴

1686年生まれ。本職は禅僧。

禅に関する著書が多く、禅に関する専門書(漢文バージョン)が7シリーズ、漢文口調の文語体で書かれた本が7シリーズ、仮名文字や簡単な表現で書かれた本が7作品あるとのことです。

このように「禅僧」なので、職業絵師ではありません。

絵師としての特徴は、「禅に関する絵」と「極太の輪郭線」です。ちなみに書き直しもよく行うそうです。

「奇想の系譜展」では、大きさが2mある「達磨図」が出ます。

あと、「すたすた坊主」という作品があります。最下層の僧侶を描いたもので、食料や物品を乞うて生活している僧侶のことです。なぜか、とてもぽっちゃりした体型で描かれています。

鈴木其一

1796年生まれ。江戸琳派の一人です。

「自然」を「人工物」のように描く作風です。

「奇想の系譜展」には「夏秋渓流図屏風」が出ます。この屏風絵には、水流と真っ直ぐな木々と百合の花が描かれています。

色彩が非常にハッキリしており、特に水流を描く青い色と木々の茶色と葉っぱの緑色。金箔の屏風に描かれているので、目立ちます。

写実的な風景というよりも、やや図案化されたような表現の風景です。

私の感想ですが、美術課題で出される「平面構成」とか、油絵で原色をベッタリと塗る表現に近いものを感じました。

当時の時代よりも、新しい時代の表現が近い感じです。

歌川国芳

1798年生まれ。江戸末期の浮世絵師で江戸の日本橋出身。幼少期から絵が得意だったとのことです。

15歳の時に初代歌川豊国の元に入門。師匠である豊国は役者絵が得意な絵師でした。

師匠の没後に発表した水滸伝の絵「通俗水滸伝豪傑百八人」が大ヒットし、「武者絵の国芳」と評判になったとのことです。

風刺画、判じ絵、猫の絵が得意で、2019年風に言うと「アメコミ」っぽい感じのカッコいい絵も得意な絵師でした。

もし、現代に生きていたら、アメコミや少年雑誌向けの漫画家になっていたかもしれませんね。

「奇想の系譜展」には「宮本武蔵の鯨退治」「一ツ家 絵馬」「相馬の古内裏」が出ます。

今回のブログでは「一ツ家 絵馬」を紹介します。

この作品は、新吉原のとある店の主人の依頼で描かれたもので、浅草寺に奉納された大きさ約3mくらいの木製の絵馬です。今は色あせていますが、当時は金ピカの絵馬だったそうです。

絵のモデルは、怪談「浅茅が原の鬼婆」または「一ツ家」です。

あらすじは以下の通り。

昔、花川戸(浅草のあたり)に浅茅が原という寂しい荒地がありました。そこにはポツンと一軒家の宿があり、老婆と若い娘が住んでいました。

その辺りに来る旅人は、他に宿がないのでそこに泊まるしかない状態でした。

実は、老婆の正体は強盗殺人犯(鬼婆)で、泊まりに来た旅人を石の枕で圧殺し、金品を奪い取って生活していました。

娘は老婆に「お母さん、こんなことするのはもう止めて。」と言っていたのですが、老婆は聞く耳を持ちません。

老婆が殺した人の数が999人に達したある日、一人の稚児が家に泊まりに来ました。

老婆は今回も石枕で、殺しました。しかし、よく見るとそれは稚児ではなく自分の娘でした。

娘は、稚児の身代わりになって死んでしまったのです。

老婆は自分が娘を殺めてしまったことに対し激しく動揺し、自分の行いを後悔し嘆きます。そこに、本物の稚児が現れます。

実は、稚児の正体は浅草寺の仏が姿を変えたものであり、老婆を改心させるために家に来たのでした。

その後、老婆は池に身投げして竜と化したとも、仏門に入って自分が殺めた死者を弔ったとも言われています。

ちなみに、老婆が身投げしたとされる池は「姥ヶ池」として今も残っています。

と、まぁこんな話です。

「奇想の系譜展」は人気が高い展示会で、2019年2月現在、土日に6000人、平日に3000人の来場客が来ているとのことです。

また、期間によって作品の入れ替えがあり、自分のお目当の作品がある場合は、東京都美術館の学芸員に直接確認するのが最も確実な方法です。

ちなみに、歌川国芳の作品では、2019年3月12日から東海道五十三次を猫でもじったようなダジャレ絵が登場するとのことです。

こちらも見逃せませんね。

以上が、講演会で聞いた解説のメモと私独自の感想&考察レポです。

早く、展示会に行きたいですね。

ご覧いただき、ありがとうございました。

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